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2012年3月27日火曜日

「いちまいばなしのうらばなし」その5


「ロードムービー系」

第5回目となる「いちまいばなしのうらばなし」は、物語の展開の仕方に注目し、登場人物が移動する事によって、物語が進んでゆく「ロードムービー系」のお話を紹介したいと思う。まずは以前紹介した「Yes we can!」と、今回初出典の「どこに行くのこの猫たち」を2つ続けてどうぞ。

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いちまいばなし 015
2011.11.19
東京都台東区浅草雷門1丁目
「Yes we can!」

あるところに水晶玉がありました。
それを見ていたのはこけしでした。
玉の中には雷門が見えて、そこではカエルがエスカルゴを食べていました。
それを見たコケシは、ちまたではエスカルゴが流行っていると思い、
ひともうけしようと材料のカタツムリを探しに行きました。
まずは池に行きました。しかし池にはサメがいて、
すでに全てのカタツムリを食べ尽くし、その殻が池の周りに積み上げられていました。
次にコケシはツクシがたくさん生えた野原に行きました。
しかし、カタツムリが全くいなかったので、怒ったコケシはツクシを一本だけ残して焼いてしまいました。
一本のツクシをもって、コケシは川へ行きました。するといかだに乗った少年たちが川を下って来ました。
行き先をたずねると、アメリカへ行くらしいので、コケシもそのいかだに乗って、新たな食材を探す旅に出ました。
航海していると、あるとき、霧の中から人影が見えて来ました。
それは美しい女の人で、手にしたゾウガメと、コケシの持っていたツクシを交換してくれないかと言いました。
ツクシとゾウガメを交換したコケシと少年たちは、お腹が空いていたのでゾウガメを食べてしまいました。
次にまた、霧の中に人影がみえてきました。
それは自由の女神像で、ついにコケシたちはアメリカニューヨークに着いたのでした。
上陸したコケシたちは、大物政治家と会いました。その人は食べた残りのゾウガメのこうらを大金で買ってくれたので、
そのお金でコケシたちは盛大なパーティーを開きました。
おしまい

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いちまいばなし 021
2012年2月9日
東京都世田谷区等々力
「どこに行くのこの猫たち」

ある海の中に三毛猫がいました。
猫はウミガメに乗って、海とつながっている遊園地に向かいました。
遊園地につくと、猫はカメに乗ったまま、ジェットコースターに乗り込みました。
ジェットコースターはとても長くて、最後には2匹は宇宙の真ん中まで飛ばされてしまいました。
そこで猫はカメから降りたので、カメは自分で海に戻って昼寝を始めました。
猫は今度は、たまたま通りかかった流れ星に乗って、月に行きました。
月が眠っていたので、猫も昼寝を始めました。
すると夢の中に妖精が出て来て起こされたので、猫は驚いて月から落ちてしまいました。
落ちた先は太陽で、まぶしくて目がくらんだ猫は今度は地球に落ちていきました。
落ちた先は最初の海で、猫はそこでまたカメと出会いました。
その時猫は猫の国でのパーティーを思い出し、またカメに乗せていってもらうことにしました。
2匹はまたジェットコースターに乗って会場に向かおうとしましたが、
途中で地震が起きて、空中に飛ばされてしまいました。
飛んでいった先はパーティー会場の真上で、なぜかパーティー用の着替えが中に浮いていたので、
猫は空中でスポッと服に入って着替え、みごとパーティー会場に着地しました。
おしまい
ーーー

「いちまいばなし」を作ってゆく課程で、物語の展開が主人公たちの感情や状況ではなく、移動に重点を置くようになってくると、上記の様な「ロードムービー系」のお話が出来上がる。2作とも物語の中で、絶えず登場人物が移動していると言う事がお分かり頂けると思う。もちろん他の話でも、物語の中で舞台が移ってゆく作品もあるが、この2作はほぼ1動作が終わると次の場所へ行くような目まぐるしさが特に印象的だ。次々と舞台が移り変わりながら物語が進んでゆくのがこの「ロードムービー系」の特徴と言えるだろう。

さらに、その移動手段に注目すると、移動する主人公…つまりはコケシや三毛猫が、自分の足でどこかに行くと言うよりは、誰か、または何かに乗って、気ままに流されて行くような感覚が共通している様に思える。本物のロードムービーにある様に、主人公が自動車やバイクにを自身で運転して旅をしてゆくのではなく、「少年たちが乗ったいかだ」や「カメ」、「ジェットコースター」「流れ星」といった、どれも自分の意志から離れたものに乗っているという部分が興味深い。(もう1作「ロードムービー系」のお話として後日紹介する予定の「人力車世界一周の旅」という作品があるのだが、それもタイトルの通り、「人力車」に乗ってのお話である。)ここへ行きたいという、明確な意志を主人公が持っているわけではなく、誰かに乗ったり、相乗りしたり、どこに行くかも分からないものに乗って移動してゆくという、何かに依存して物語を漂う感覚は、そのまま「いちまいばなし」の即興で他者と物語を共作する構造と重なって見える。

前にも述べたが、「いちまいばなし」の実演現場では、参加者の様々な思惑が混ざり合いながら物語が生まれて来るので、なかなか自分がこうしようと思う話の流れには持って行けない。むしろ、自分の理想の結末や展開に拘泥するよりも、そこで偶然出て来た想定外の展開を楽しみ、他者とその場を共有できる方が、より魅力的な物語が生まれやすい。「面白いお話をつくろう!」等と力まずに、体と頭の力を抜き、なるようになるだろうという感覚で「いちまいばなし」の流れに身をそわせてゆくのが理想的である。今回の「ロードムービー系」の物語に登場する主人公たちは、まさにそのような感覚で旅をしているように思える。自分の意志では全てをコントロールできない物語の流れに身を任せ、その中で生まれる意図しない邂逅を楽しむ感覚が、まさに「いちまいばなし」から生まれた物語ならではの味わいである。

2012年3月24日土曜日

「WAKABADAI SKY DRAGON 100mの向こう」 その7





2011年9月23日~10月2日、横浜若葉台団地で「空の芸術祭」という、「空」と「ブータン王国」をテーマにしたアートプロジェクトが開催された。総合プロデューサーは日比野克彦。7人の日本人作家とブータンの作家1人を迎え、17000人が生活する若葉台の中で様々なプロジェクトが行われた。会期中にはブータン王国のティンレー首相も若葉台を訪れ、大きな盛り上がりを見せた。
作家の1人として芸術祭に参加した私は、ブータンの国旗に登場する龍をモチーフに、100mの長さのDRAGONを作り、街を行進する「WAKABADAI SKY DRAGON」というプロジェクトを行った。以下の文章は、約2ヶ月の滞在制作を記すために綴る、不定期連載の活動記録である。

参考動画はブログの右手の動画コーナーにあります。

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<その7>

その頃は、芸術祭の会期も近づいた頃で、ワークショップを行う状況にも変化が出て来た。今までは拠点を持てずに西中で平日は活動していたが、商店街の空き店舗を借り『SKY ROOM』というワークショップ専用のスペースを団地の中心街に確保する事ができた。それによって平日の作業もそこで行えるようになり、買い物帰りのお客さんや、下校途中の小学生等、格段に活動が人目につく様になった。その結果、一度に大量に子供が集まる様になり、最初は統率にとても手を焼いた。平日は早くて15時には下校した子たちがやってくる。ワークショップの時間は18時頃までなので、正味2、3時間だが、短時間に集中するので、毎日が嵐のようだった。毎日15時を目指して、材料の買い出しや寸法出し、または子供では出来ない作業をこなしておくのだが、なかなかはかどらない事もあり、そんな日は下校してくる子供たちの声に恐怖を感じた物だった。



SKY ROOM




また、僕の中でワークショップを行う「場」を作るという意識が生まれ出したのも、この「SKY ROOM」での活動からだった。ワークショップの「場」を作ると言う事は、そこへ立ち入るとワークショップに関わらざるを得ない場を演出すると言う事である。なのでまず第一に行うべき事は、ワークショップに関係するもの以外の排除である。

この考えに至るまでに時間がかかり、初期の頃は子供たちが現場に持ってくるおもちゃに大変苦労した。西中では誰かの手からカードゲームが出てくるともう駄目だった。子供たちは一瞬で興味を奪われ、進行はかなり手こづった。僕のスタンスとしては、ワークショップはやりたいと思った人が参加する物であり、その場に立ち入ったから強制的にやらされる物ではないと考えていた。参加しなくてもいいし、自由に休憩してもいい。なのでワークショップに飽きた子がカードゲームをする事自体は特に問題はないのだが、それがワークショップと同じ場で行われると、現在進行形で作業に集中している子の興味まで奪ってしまう。そこが問題だった。よって、現場が『SKY ROOM』に移ってからは、「遊んでもいいが、遊ぶのはSKY ROOMの外」「 SKY ROOM ではワークショップに関係ある事以外を行わない」というルールを決めて進行した。

ワークショップは何かを享受する授業ではなく、参加者が主体的に参加していかなければ意味が無いので、単に今参加していないからと言って一方的にその子を避難したり、排除したりしても仕方が無い。一人一人にリズムや事情があり、そこに介入してまで参加を促す事は愚行である。いったん外で遊んで来てまた初めてもいいし、どうしてもやる気が起きないなら、今日はお休みしたっていい。

参加者自体のモチベーションに期待するよりも、本人が能動的に活動に関わりたいと思えるような場を作って行く事が重要である。だが、子供達の目は鋭く、水が低きに流れてゆく様に、場の中に緊張感が薄れている部分や、関係のない物が置いてあるようなところをすぐ見つけてそこで遊び始めてしまう。ある時、最終発表の行進用に保管してあった楽器類が発見されたときは、楽器を持った子供がハーメルンよろしく、全ての子供を音楽のトリコにしてしまい、全く作業にならなかった。常に現場には、この場がワークショプをする場所以外の何ものでもないという緊張感が必要であり、それ以外の具材は全て排除してゆくと言う、場の純化が必要である。

つづく

2012年3月12日月曜日

「いちまいばなしのうらばなし」その4

「スクランブルエッグ落ち」

さて、前回は収集のつかない物語に、なんとかまとまりをつける為の「パーティー落ち」という手法を紹介したが、今回はその対極にある様な手法をご紹介しよう。まずはこのお話を読んでほしい。

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いちまいばなし No.018
2012.2.7
東京都世田谷区等々力
「フランスから妖精の国へ」


あるところに妖精のお姫様がいて、フランスから妖精の国へ帰っていました。
フランスでは、妖精はフランス人と一緒にバネ公園のバネでエッフェル塔に飛び乗ったりして遊んでいました。
妖精の国では、お城でお姫様のお父さんとお母さんがたくさんの貴族と共にお姫様の帰りを待っていました。
お姫様が国に帰ってくるとティーパーティーが始まります。お菓子は振りかけられた砂糖でキラキラと輝いています。
キラキラ光る川の水で作られたシャンパンも用意されました。
パーティーでは、ステージで妖精のお笑いやダンスの出し物も行われます。
それが終わるとキラキラのお風呂にみんなで入ります。
そして、お姫様は国中の人、一人一人におやすみなさいを言って寝ようしました。子守唄も聞こえてきます。
でも、よく見ると妖精が一人いないようです。みると、お風呂で溺れている妖精がいます。
お姫様が助けるとその妖精は「ありがとう」とお礼を言いました。
すると今度はキラキラ光る川でお姫様が溺れてしまいました。
川は凍っていたので、お姫様は動けなくなりましたが、次の日に助けてもらえたそうです。
おしまい

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今回の「いちまいばなし」に参加者したのは、全員小学生の女の子で、そのせいなのか、始まりから妖精が登場してなかなかファンタジー色が強いお話である。その他に出て来るものも「エッフェル塔」、「ティーパーティー」と少々ハイソな印象を受ける。全体の印象としては、バランスのとれたとても読みやすいお話であると思う。確かに「バネ公園」や、「妖精のお笑い」など、「いちまいばなし」ならではの妙な違和感=「サメおにぎり」感も随所に見受けられるが、それを考慮したとしても、ここまでスムーズにお話が進んで行くのも珍しい。最初に紹介した「サメつり(仮)」ほど平凡な流れでなく、「パーティー落ち」を必要とする様なカオティックな流れでもない。
妖精のお姫様がフランスから帰国すると、妖精の国でパーティーの準備がされていて、両親や貴族とともにそれを楽しむ。そして、お風呂に入って、就寝のあいさつをし、子守唄まで流れてくる。子守唄まで流れて来てたら、もう後は寝るだけのはず。お姫様が眠りについてお話はおしまいである。普通の話ならば…

しかし、ここからが「いちまいばなし」の本領発揮である。なぜかここで話が大きく動き出す。あいさつの途中で妖精が1人行方不明になり、探すと理由も無く風呂で溺れている。そこでお姫様が溺れている妖精を助け、さあ、これでやっと眠りについておしまいかと思うが、次の瞬間、今度はお姫様の方がまた理由もなく川で溺れている。しかも氷づけで。そして「次の日」に助けてもらっている。さらっと流しているが、よく考えると一晩は放置されていたことになる。

いままで、綺麗にまとまっていた流れを、終盤いきなりかき混ぜ、さらにそれすら途中で放置してしまうかの様なこの流れ。いきなりのクライマックスに、それまでの流れが何の伏線にもなってないのも特徴的だ。妖精2人が溺れた理由を話の前後から見いだそうとしても、おそらく何も発見できまい。一体なぜこんな事になってしまうのか。物語ではなく、作り手の意識を予想してみると、その答えが見えてくる。私はこの話には「パーティー落ち」と全く逆の意識が働いているように思う。すなわち、冒頭から何の落ち度もなく話が進んでゆくのだが、そのあまりにも順調な流れに対して、話を作っている参加者自身が、その流れにれだんだん退屈になり、もしくは不安を感じ、その反動によって終盤でこんなかき混ぜ方をしてしまったのではないだろうか。この現象については、終盤で急激にかき混ぜる感じに注目し「スクランブルエッグ落ち」と命名したい。あまりにも混沌とした物語をリセットする防衛帰省として「パーティー落ち」があるように、起伏に乏しい話を面白くしたい!という意識が、最後の最後で後先を考えずに急激に物語をかき混ぜるのがこの「スクランブルエッグ落ち」である。

ーー

「パーティー落ち」や今回の「スクランブルエッグ落ち」の事を文章の中では、「手法」、「方法」と記しているが、どちらか言うと「性」や「癖」と言った方がニュアンスとして近いように感じる。「いちまいばなし」という即興の中で生み出されるこのような傾向は、「手法」等という技巧的な要素と言うよりは、参加者の心にある習性や意識が自然に表出した結果だからである。卓越した技がそこにあるのではなく、無意識に出て来てしまった要素の寄せ集めでできてしまうこの「いちまいばなし」は、物語を読んでいくうちに、その作り手の意識が垣間見えることがある。「飛びすぎた展開を、理解の範疇に引き戻したい。」「順等な話に強烈なスパイスを効かせたい。」そんな想いが「パーティー落ち」や「スクランブルエッグ落ち」を生み出すのだ。奇妙な言葉の出会いや、裏切りに裏切りを重ねる展開というのも「いちまいばなし」の見所であるが、そこからもう一歩思考を進めると、その物語の裏にある作り手の思惑も赤裸々に見えてくる。そこを楽しむ目を解説してゆくのがこの「いちまいばなしのうらばなし」なのである。

2012年3月9日金曜日

「WAKABADAI SKY DRAGON 100mの向こう」 その6




2011年9月23日~10月2日、横浜若葉台団地で「空の芸術祭」という、「空」と「ブータン王国」をテーマにしたアートプロジェクトが開催された。総合プロデューサーは日比野克彦。7人の日本人作家とブータンの作家1人を迎え、17000人が生活する若葉台の中で様々なプロジェクトが行われた。会期中にはブータン王国のティンレー首相も若葉台を訪れ、大きな盛り上がりを見せた。
作家の1人として芸術祭に参加した私は、ブータンの国旗に登場する龍をモチーフに、100mの長さのDRAGONを作り、街を行進する「WAKABADAI SKY DRAGON」というプロジェクトを行った。以下の文章は、約2ヶ月の滞在制作を記すために綴る、不定期連載の活動記録である。

参考動画はブログの右手の動画コーナーにあります。

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<その6>
どうにかこうにか、第1回の公開ワークショップを終えた僕の周りには、小学生を中心に10人程度のレギュラーメンバーが集っていた。第2週は、彼等を中心にさらにこのプロジェクトに引き込む為、それぞれが1匹づつドラゴンを作る事を目標として、活動を始めた。サイズは公開ワークショプの物よりもさらに小さく、また、構造も筒状ではなく旗状に変え、より平易に工作できるようにした。各人が平日の5日間をかけて、発泡スチロールで頭部を、ビニールシートを具材にしての胴体の制作を行ってドラゴンのベースを作り、さらに週末の公開ワークショップで、飛び入りの参加者と協力してウロコ張りを行いドラゴンを完成させるというプログラムを計画していた。




自分のドラゴンを作ると言う事で、常連のメンバーは色めき立ち、熱心に活動に参加した。頭部のデザインはテンプレートを僕が作り、ディティールはそれぞれの子供たちに任せる事にした。最終行程のウロコ張りは、ウロコを切り出す作業や貼付ける作業を各個人が各々で行ってしまうと時間がかかりすぎてしまうため、公開ワークショップで様々な人に作業を手伝って貰う様にした。僕の意図としては、他者に手伝って作業を進める部分を制作過程に入れ込む事で、「他者と共作した」という意識が生まれ、完成したドラゴンを誰かと共有する事も出来るのではないだろうかと考えていた。ドラゴンを作るのには時間がかかるが、それで遊びたい子はたくさんいる。出来上がったドラゴンを他の子たちにも貸せる事ができれば、僕にとっても有用だった。第二週のワークショップを終えて、最終的にドラゴンは6体できあがったのだが、子供たちの意識は、僕の予想していた方向へは行かず、よりドラゴンへの愛着が増す分、所有欲も増してしまい、出来た物を誰とも共有できなくなってしまった。また、この頃初期の参加メンバーが、新たに参加したメンバーに対して優位に立ちたがると言う状況も生まれ始めてきていた。



今後のプロジェクトへ向けてより多くの人が参加できる開かれたワークショップと「共作、共有」=みんなで一つのモノを作って楽しむというコンセプトが見えて来た。そこで、最初に頭にあった「龍踊り」のイメージを引っ張り出し、巨大で長いドラゴンを時間をかけてつくり、芸術祭最終日に人を集めて商店街を行進する、「100mDRAGON」の構想を打ち立てた。

つづく

2012年3月6日火曜日

アトリエ「きらら」ブログ

先月活動させて頂いた、等々力のアトリエ「きらら」さんのブログに、行った授業の様子がアップされています。今回は2週間の授業で、即興物語創作「いちまいばなし」作りと、そのお話を元に布で旗を制作する「えほんのはた」作りを行いました。かわいい4つの旗が紹介されていますので、ぜひ見てみて下さい。。。
また、「きらら」のHPではトークの様子も紹介されています。。


ブログはこちらから→ きらら子供のアトリエ ブログ
HPはこちら→きららHP

2012年3月2日金曜日

「いちまいばなしのうらばなし」その3


「パーティー落ち」

前回の「逆接のクロスカウンター」もそうだが、「いちまいばなし」を行っていると、何度か同じ様なストーリーの流れに出くわしたりして、話を作り続けてゆくとある程度の傾向が見えてくる。今回紹介する「パーティー落ち」は、その中でも特によく見受けられるパターンで、数えてみるとこれまでに作られて来た話の5分の1くらいにこの傾向が伺える。「パーティー落ち」というのはその名の通り、話の終盤にパーティーやそれに類する催し(バーベキューやティーパーティー)が開催されて、話が収束に向かうというという流れの事をさす。まずはすごく自然な流れでの「パーティー落ち」で終わるお話をご紹介しよう。

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いちまいばなし No.006
2011年7月17日
神奈川県横浜市旭区若葉台
「雲の王国へ行くうさぎたち」

青空の中の雲に、クモが巣を作って住んでいました。
そこに羽の生えたウサギの家族がぴょんぴょん飛んでやってきました。
雲の向こうには雲の王国があって、
中には王さまとお姫様、家来たちが住んでいました。
今日は雲の王国の400周年パーティです。
そこに招かれたのがクモとうさぎたちでした。
きっと楽しいパーティだった事でしょう。
おしまい
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うん。何も問題ない。とてもスムーズにパーティーの流れで落ちている。この話が「パーティー」という要素が「いちまいばなし」の中に初登場した話で、まだこの頃はその事に対して何の違和感も持っていなかった。しかし、活動を続けていく中で、だんだん「パーティー」で終わる話が目に付きだし、その言葉の持つ使い勝手の良さ、いきなり話を丸め込んでしまう強引さが浮かび上がってくる。では次の作品を見てみよう。

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いちまいばなし No.007
2011年7月17日
神奈川県横浜市旭区若葉台
「パイレーツ・オブ・トリビアン」

あるところの空に1羽の鳥がいました。
その下の海には宝の島、サモア島がありました。
宝をねらう海賊達が海を渡っていましたが、
そこに大きなタコがいて海賊達に立ちはだかりました。
その時、突然空にいた鳥が大きな大きなロボット鳥になりました。
ロボット鳥はタコを焼きダコにしようと火を吐きますが、タコも負けてはいません。
タコもスミを吐きます。
そうすると海の中にいた魚達が怒って「コラ!俺たちの海を荒らすな!」と文句を言ったので、
戦いは終わって、2人は「ごめんね」と謝り、バーベキューをして遊んでいました。
ところが残った宝を魚のボスがとってしまいました。
まぁバーベキューもおいしかったしいいか。でもその宝をいったい何に使うんだろうね?
おしまい
ーーーーーーー

さてどうだろう、さっきに比べて話の〆が少し強引な感じがしないだろうか?ここでは、パーティーではなくバーベキューとなっているが、それまで鳥、海賊、タコが、三つ巴の攻防が繰り広げられていて、巨大化、メカ化、火炎放射、スミ噴射と大スペクタクルの様相を呈しているのに、「コラ!」という魚の一喝で一挙に争いが終息に向かい、バーベキューで和解すると言うこの流れ。それまで完全に戦闘モードだったのに、みんなで飲んで食って騒げばなんとなく丸く収まると言う、分かりやすい和平の象徴として「パーティー(バーベキュー)」が使われている。その感覚が一番良く現れている一文が、

「まぁバーベキューもおいしかったしいいか。」

これに尽きる。「いちまいばなし」の現場で、話がどんどん盛り上がって煩雑になってゆき、どうにも収束しづらい状況に陥ってしまった時、とりあえず「パーティー」を開催して「まあいいか。」と、なんとなく丸くおさめ、お茶を濁す。この感覚が「パーティー落ち」である。さらに、次の話のように長編物になってくると、「パーティー落ち」で濁す対象にも変化が出てくる。

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いちまいばなし No.015
2011.11.19
東京都台東区浅草雷門1丁目
「Yes we can!」

あるところに水晶玉がありました。
それを見ていたのはこけしでした。
玉の中には雷門が見えて、そこではカエルがエスカルゴを食べていました。
それを見たコケシは、ちまたではエスカルゴが流行っていると思い、
ひともうけしようと材料のカタツムリを探しに行きました。
まずは池に行きました。しかし池にはサメがいて、
すでに全てのカタツムリを食べ尽くし、その殻が池の周りに積み上げられていました。
次にコケシはツクシがたくさん生えた野原に行きました。
しかし、カタツムリが全くいなかったので、怒ったコケシはツクシを一本だけ残して焼いてしまいました。
一本のツクシをもって、コケシは川へ行きました。するといかだに乗った少年たちが川を下って来ました。
行き先をたずねると、アメリカへ行くらしいので、コケシもそのいかだに乗って、新たな食材を探す旅に出ました。
航海していると、あるとき、霧の中から人影が見えて来ました。
それは美しい女の人で、手にしたゾウガメと、コケシの持っていたツクシを交換してくれないかと言いました。
ツクシとゾウガメを交換したコケシと少年たちは、お腹が空いていたのでゾウガメを食べてしまいました。
次にまた、霧の中に人影がみえてきました。
それは自由の女神像で、ついにコケシたちはアメリカニューヨークに着いたのでした。
上陸したコケシたちは、大物政治家と会いました。その人は食べた残りのゾウガメのこうらを大金で買ってくれたので、
そのお金でコケシたちは盛大なパーティーを開きました。
おしまい
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前述の「パイレーツ・オブ・トリビアン」では中盤のゴタゴタをリセットする為に「パーティー(バーベキュー)」が用いられているが、この「Yes we can!」ではまた少し違う用法で使われているのが興味深い。この話では主人公であるコケシがエスカルゴでひともうけしようと、材料であるカタツムリを探しに行くところから始まるのだが、読んでいくと分かるように、中盤から「いかだに乗った少年たち」や「ゾウガメを持った美しい人」など要素が増えてゆくにつれ、当初のコケシの目的がだんだん希薄になってゆく。一応のクライマックスとして、最後にはニューヨークに到着して何となく達成感があるのだが、よくよく考えるとこれは「いかだに乗った少年たち」の目的地であって、コケシの目的でではないし、カタツムリもどこにも出てこない。それどころか、手にしているのはゾウガメの甲羅という何の価値もなさそうな代物である。しかし、ここでもなぜか大物政治家がその甲羅を大金で買ってくれ、「パーティー」が開かれる。(タイトルでその政治家を臭わせているあたりがニクい演出になっている。)ここでは、長旅の課程で煩雑になってしまった物語をリセットするという、「パイレーツ・オブ・トリビアン」的な「パーティー落ち」の意味合いと共に、長い物語の中で見失ってしまった時の目的の代替品として「パーティー」が用いられ、なんかみんなハッピーだし「まあいいか。」という流れに持って行っている。

「いちまいばなし」の構造上、現場の盛り上がり方によって、急に話がとんでもない方向へしまう事がよくある。そのまま着地せずに終わってしまう様なノーブレーキ戦法もたまにあるが、だいたいの場合は、飛んでしまった話をなんとか着地させようとする力が働く事が多い。そんな中で絶大な力を発揮するのがこの「パーティー」という言葉の響きで、それまでいくらハチャメチャな展開でも、この「パーティー」の開催によって、物語のリセットや、目的のすり替えをしれっと済ませて、なんとなく安心できる後味にしてしまう。失敗した料理にルーを入れ、カレーにしてしまうような、この無理矢理なリセット感覚が、この「パーティー落ち」なのである。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「いちまいばなし」 by 佐藤悠 is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 継承 2.1 日本 License.