2012年11月24日土曜日

MちゃんとRちゃんの沈黙

今回の写真と記事は特に関係はありません

先週末のワークショップに、以前「いちまいばなし」に参加してくれた、Mちゃんという女の子がまた来てくれました。その子はとてもシャイで、この前来てくれた時も、問いかけになかなか言葉が出て来なかったことを覚えています。困ってしまうと、首を大きくかしげて隣のお父さんにしなだれかかる仕草がとても可愛い子だったのですが、場の空気がだんだんと硬直してゆくような沈黙の中、なんとか粘って待っていると、最後には自分の口から言葉を絞り出してくれました。以前にも少し書きましたが、そんな空気の中で、しかも他人に囲まれて、自分の意見を言葉にするのは本当に勇気がいる事だと思います。そんなプレッシャーのかかる経験をしたのにも関わらず、また現場に来てくれたMちゃん。その日も首を大きくかしげてためらいながらも、もう一度「いちまいばなし」に参加してくれて、やっぱり言葉はすぐには出てこなかったけれど、自分の言葉で物語を進めてくれました。

そんな姿を見ていると、あの時、あの沈黙であきらめなくてよかったなと心から思います。司会にしても、沈黙というのは辛い物で、一刻も早くその空気を変えてしましたいものですが、その沈黙の陰には、何かを生み出そうとする葛藤があり、それを乗り越える事で、誰かの何かが変わるのだと、僕は信じています。だから、流れの中で沈黙が生まれても1度は必ず待ちます。粘って、もう一回問いかけて、ある時は質問の角度を変えて、とにかくその人から言葉が出てくるまでトライします。毎回うまく行く訳ではありませんし、こちらの精神的にもキツイ物はあるのですが、できるだけその姿勢を崩さず「いちまいばなし」をやっていこうと心がけています。

そこまでしようと思うのは、ある女の子との出会いがきっかけでした。Rちゃんというその子とは、去年の冬にある子供アトリエでの「いちまいばなし」で出会いました。先のMちゃんと同じく、Rちゃんもとてもシャイな子で、問いかけに対してなかなか答えが出てきませんでした。顔はだんだん紅潮し、口元はむずがゆいようにかすかに動くのですが、やっぱり言葉は出てきません。当時は僕自身もまだ活動の回数が少なく、場に慣れていなかったので、一回緊張をほぐしたり、間を置いたりする事ができず、ただただ真っ向から「どうなったの?」と聞く事しかできませんでした。長い長い沈黙の時間が続きましたが、結局その時はRちゃんの口から言葉を引き出す事はできず、最終的に首のうなずきでこちらが聞く内容(○○したか、しないか等)をYES  NOの2択で決めてもらう事にし、なんとか物語を作る事ができました。結果的にその時できた「いちまいばなし」は、今でも人気のある面白い物語になったのですが、正直僕はその後かなりヘコんでいました。質問攻めにしてしまったRちゃんの姿を思うたびに、本人が望まない状況を強いてしまったと、何とも言えない気持ちになりました。半ば強制的に他者を巻き込んで、想像力を吸い出すような「いちまいばなし」が秘めている暴力性に初めて気付いたのかもしれません。

そんなこんなで、アトリエでの2週間の活動が終わり、最後にトークショーを行った時、Rちゃんのお母さんと会う機会がありました。そこで活動の中でのRちゃんの様子を聞かれ、正直うまく行かずにちょっと辛い思いをさせてしまったかもしれないと伝えると、お母さんは意外そうな顔をしていました。お母さんが前にその日の事を聞いた時は、Rちゃん自身がすごくやりきった感があったようだったと言うのです。「あれ?」と思いました。どうやら彼女の心中では、僕の予想していた物と全く違う反応が起こっていたようでした。また、再びそのアトリエに伺ったとき、オーナーさんから僕が作った絵本にサインをして欲しいと頼まれ、どういうことか聞くと、Rちゃんがお小遣いを貯めてその絵本を買ってくれたのだと伝えられました。僕の予想に反してRちゃんは、とても好意的に僕や「いちまいばなし」の事を受け入れていたようなのです。この事を知った時、あの沈黙が実はとても重要な物だったのだという事に気付きました。あの沈黙が、あのプレッシャーがあったからこそ、何か彼女の中で変化が起こったのではないだろうかと僕は思いました。それから僕は場に生まれる沈黙の時間に、できるだけ立ち向かえるようにスタンスを変えてゆきました。それまでは回避しがちだったその沈黙の時間。みんなが敬遠するその時間を、現場の参加者とどうやって共有できるのかを考える様になりました。



今、「いちまいばなし」には、本番を始める前に参加者に必ず伝える3つのルールがあります。1つ目は誰もが分かる事を話す事。2つ目は話す順番を守る事。そして3つ目は場がシーンとなってしまった時、その沈黙を暖かい気持ちで見守る。というものです。3番目のルールを最初に伝える事で、参加者に間ができてしまった時の心の準備をしてもらっていると僕は思っています。場が硬直して行くとき、もちろん黙っている本人も辛いのでしょうが、周囲の参加者もやっぱり辛いと思います。でも、そこでちょっと我慢する余裕を持ってもらう。そうする事で、その沈黙の時間の価値を知ってもらい、産みの苦しみを共有するというのが「いちまいばなし」の新たな目的になりつつあります。

そんな思いを持ちながら、黄金町での「いちまいばなし」を行っていた中、Rちゃんを彷彿させるような、冒頭のMちゃんに出会ったので、嬉しくなって昔の事を思い出して今回の記事を書きました。あの沈黙を乗り越えたMちゃんにも、何か変化があったからこそまた「いちまいばなし」に来てくれたのだと思います。まぁ実際のところ、本人たちの気持ちは推測するしかなく、状況証拠を希望観測的に考えているだけなのですが、やっぱり僕としてはそこは信じたいところ。なんかまどろっこしいですが、まぁとにかく、Rちゃんのおかげで今の「いちまいばなし」の変化があるのだという事と、シャイなMちゃんがまた来てくれて嬉しかったという事が言いたかったのです。

それでは週末のワークショップまたがんばります。。

2 件のコメント:

  1. たぶんMもRちゃんと同じ気持ちだったんだと思います。
    たまたま前を通ったら「またやりたい、やりたい!!」と何度もせがまれ、
    参加させてもらいました。
    全くの無から言葉を出すのは難しいけれど、自分だけに任されるという状況が嬉しかったようです。
    本日お会いした後も、「お兄さんの所にまた行きたい」と言ってました(^^)

    これからも楽しいお話を作ってくださいね。

    Mの父

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  2. コメントありがとうございます。
    そう言っていただけるとありがたいです。
    来週はフィナーレなので、ぜひまたその時に会えると嬉しいです。

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