2012年3月27日火曜日

「いちまいばなしのうらばなし」その5


「ロードムービー系」

第5回目となる「いちまいばなしのうらばなし」は、物語の展開の仕方に注目し、登場人物が移動する事によって、物語が進んでゆく「ロードムービー系」のお話を紹介したいと思う。まずは以前紹介した「Yes we can!」と、今回初出典の「どこに行くのこの猫たち」を2つ続けてどうぞ。

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いちまいばなし 015
2011.11.19
東京都台東区浅草雷門1丁目
「Yes we can!」

あるところに水晶玉がありました。
それを見ていたのはこけしでした。
玉の中には雷門が見えて、そこではカエルがエスカルゴを食べていました。
それを見たコケシは、ちまたではエスカルゴが流行っていると思い、
ひともうけしようと材料のカタツムリを探しに行きました。
まずは池に行きました。しかし池にはサメがいて、
すでに全てのカタツムリを食べ尽くし、その殻が池の周りに積み上げられていました。
次にコケシはツクシがたくさん生えた野原に行きました。
しかし、カタツムリが全くいなかったので、怒ったコケシはツクシを一本だけ残して焼いてしまいました。
一本のツクシをもって、コケシは川へ行きました。するといかだに乗った少年たちが川を下って来ました。
行き先をたずねると、アメリカへ行くらしいので、コケシもそのいかだに乗って、新たな食材を探す旅に出ました。
航海していると、あるとき、霧の中から人影が見えて来ました。
それは美しい女の人で、手にしたゾウガメと、コケシの持っていたツクシを交換してくれないかと言いました。
ツクシとゾウガメを交換したコケシと少年たちは、お腹が空いていたのでゾウガメを食べてしまいました。
次にまた、霧の中に人影がみえてきました。
それは自由の女神像で、ついにコケシたちはアメリカニューヨークに着いたのでした。
上陸したコケシたちは、大物政治家と会いました。その人は食べた残りのゾウガメのこうらを大金で買ってくれたので、
そのお金でコケシたちは盛大なパーティーを開きました。
おしまい

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いちまいばなし 021
2012年2月9日
東京都世田谷区等々力
「どこに行くのこの猫たち」

ある海の中に三毛猫がいました。
猫はウミガメに乗って、海とつながっている遊園地に向かいました。
遊園地につくと、猫はカメに乗ったまま、ジェットコースターに乗り込みました。
ジェットコースターはとても長くて、最後には2匹は宇宙の真ん中まで飛ばされてしまいました。
そこで猫はカメから降りたので、カメは自分で海に戻って昼寝を始めました。
猫は今度は、たまたま通りかかった流れ星に乗って、月に行きました。
月が眠っていたので、猫も昼寝を始めました。
すると夢の中に妖精が出て来て起こされたので、猫は驚いて月から落ちてしまいました。
落ちた先は太陽で、まぶしくて目がくらんだ猫は今度は地球に落ちていきました。
落ちた先は最初の海で、猫はそこでまたカメと出会いました。
その時猫は猫の国でのパーティーを思い出し、またカメに乗せていってもらうことにしました。
2匹はまたジェットコースターに乗って会場に向かおうとしましたが、
途中で地震が起きて、空中に飛ばされてしまいました。
飛んでいった先はパーティー会場の真上で、なぜかパーティー用の着替えが中に浮いていたので、
猫は空中でスポッと服に入って着替え、みごとパーティー会場に着地しました。
おしまい
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「いちまいばなし」を作ってゆく課程で、物語の展開が主人公たちの感情や状況ではなく、移動に重点を置くようになってくると、上記の様な「ロードムービー系」のお話が出来上がる。2作とも物語の中で、絶えず登場人物が移動していると言う事がお分かり頂けると思う。もちろん他の話でも、物語の中で舞台が移ってゆく作品もあるが、この2作はほぼ1動作が終わると次の場所へ行くような目まぐるしさが特に印象的だ。次々と舞台が移り変わりながら物語が進んでゆくのがこの「ロードムービー系」の特徴と言えるだろう。

さらに、その移動手段に注目すると、移動する主人公…つまりはコケシや三毛猫が、自分の足でどこかに行くと言うよりは、誰か、または何かに乗って、気ままに流されて行くような感覚が共通している様に思える。本物のロードムービーにある様に、主人公が自動車やバイクにを自身で運転して旅をしてゆくのではなく、「少年たちが乗ったいかだ」や「カメ」、「ジェットコースター」「流れ星」といった、どれも自分の意志から離れたものに乗っているという部分が興味深い。(もう1作「ロードムービー系」のお話として後日紹介する予定の「人力車世界一周の旅」という作品があるのだが、それもタイトルの通り、「人力車」に乗ってのお話である。)ここへ行きたいという、明確な意志を主人公が持っているわけではなく、誰かに乗ったり、相乗りしたり、どこに行くかも分からないものに乗って移動してゆくという、何かに依存して物語を漂う感覚は、そのまま「いちまいばなし」の即興で他者と物語を共作する構造と重なって見える。

前にも述べたが、「いちまいばなし」の実演現場では、参加者の様々な思惑が混ざり合いながら物語が生まれて来るので、なかなか自分がこうしようと思う話の流れには持って行けない。むしろ、自分の理想の結末や展開に拘泥するよりも、そこで偶然出て来た想定外の展開を楽しみ、他者とその場を共有できる方が、より魅力的な物語が生まれやすい。「面白いお話をつくろう!」等と力まずに、体と頭の力を抜き、なるようになるだろうという感覚で「いちまいばなし」の流れに身をそわせてゆくのが理想的である。今回の「ロードムービー系」の物語に登場する主人公たちは、まさにそのような感覚で旅をしているように思える。自分の意志では全てをコントロールできない物語の流れに身を任せ、その中で生まれる意図しない邂逅を楽しむ感覚が、まさに「いちまいばなし」から生まれた物語ならではの味わいである。

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