2012年2月26日日曜日

「いちまいばなしのうらばなし」その2

その2「逆接のクロスカウンター」



さて、今回で2回目となる「いちまいばなしのうらばなし」。お話の解説とともに、その傾向に名前を付け、「いちまいばなし」の慣用句を作って、解説をしやすくしてゆこうと思っている。今回紹介するのも前回に引き続き、釜石で作られた、磯の香り漂う「いちまいばなし」をまずは一読。。。

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いちまいばなし No.003
岩手県大船渡
2011年5月29日

「釜石の海」

ある大きな船に人がたくさん乗っていました。
そしてその人たちはつりをしていました。
ある一人の男が怪我をしたカニをつり上げ、手当をしてあげました。
するとかには「ありがとう」と言いました。
つり上げたとなりの人が、カニに一緒に住まないかと訪ねました。
その人は、釜石のアパートや集合住宅のあるところに住んでいました。
カニは海の中のきれいな海藻の家に住んでいたので、その話を断ろうとしました。
でも、タコに墨で家を汚されてしまった事を思い出し、やっぱり一緒に住む事にしました。
その時、別の人がサメを釣り上げました。その隣の人はマンボウを釣り上げました。
サメがカニを食べようとしたので、マンボウがヒレでサメをこちょこちょとこそぐって、
カニを逃がしました。
そしてカニはその人と釜石で仲良く暮らしました。
おしまい

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前回の「サメつり(仮)」の変な違和感を手がかりに始まった「いちまいばなし」の歴史。上記の話も前回紹介した話と同じく、釜石で開催した最初の「いちまいばなし」の中で生まれた話である。「サメつり(仮)」と同じメンバーで作ったこの作品にもまたサメが登場しているが、「いちまいばなし」の特徴として、同じ要素が次につくる話に登場してくるという事もがよくあり、だんだんとそのキャラクターが掘り下げられてゆく傾向がある。また、同じメンバーで何回かお話をつくった後の作品で、制作を重ねるうちにだんだんお話をもっと面白くしようという欲が参加者の中に現れて来たのが印象的だった。しかし、「いちまいばなし」の構造上、なかなか「こんな話にしたい!」と思った様にはいかない。

この時も話をつくる前に、1人「泣かせる話にしようぜ!」と意気込んでいるメンバーがいて、その作為の結果がサメに食べられそうになったカニをマンボウが救うという流れになった。作った本人にしてみれば、ここがクライマックスで泣かせるシーンらしいが、読者として読むと中々そうは思えない。複数の思考をリレーしながら話を作っているので、参加者の1人が話をこうしたいという考えがあっても、全体の意識が統一されると言う事はまず無く、どうしてもよけいな描写や、流れには適さない部分が入ってしまう。だから話の印象としては何がやりたかったのかよく分からない印象になってしまいがちだ。逆に言えば、そんな曖昧な部分がそのままお話になってしまうと言うのが「いちまいばなし」の特徴であり、魅力なのだ。

思考が交錯する事で話の流れがカオティックになってゆくと言うのは、「いちまいばなし」の基本的な流れだが、時にその思考同士がはっきりと対立関係に陥ってしまう事もある。そして、曖昧な部分がそのままお話になってしまうように、この思考の対立もそのままお話になってしまうのも「いちまいばなし」の面白さである。この「釜石の海」で、そんな参加者同士の思考のせめぎ合いが一番良く現れている部分が、「カニをつり上げたとなりの人(カニを釣り上げた人ではない!!)」と「カニ」が一緒に暮らすかどうかという以下の場面だ。

(原文)
つり上げたとなりの人が、カニに一緒に住まないかと訪ねました。
その人は、釜石のアパートや集合住宅のあるところに住んでいました。
カニは海の中のきれいな海藻の家に住んでいたので、その話を断ろうとしました。
でも、タコに墨で家を汚されてしまった事を思い出し、やっぱり一緒に住む事にしました。

最初の流れでは、人間とカニが一緒に住んでハッピーエンドという場面が目に浮かぶ。しかし、次のバトンを貰った人はその流れに反し、いきなり自宅が綺麗だったという設定を持って来て、カニとは暮らさせない様な流れに持って行こうとする。しかし、またここで「一緒に暮らさせたい派」がタコの墨で汚されたという設定を無理矢理出してくる。。。まるで「いちまいばなし」という話のリングで作者同士の思考の対決が行われているようだ。さながらカウンターパンチの応酬が繰り広げられていると言ったところか。。。普通のお話ではカットされてしまう様な、話が行ったり来たりしてしまう様な部分も「いちまいばなし」では律儀に残してしまうので、このような思考の戦いの跡が話の中に見て取れる。

話の流れを裏切るというのは、展開の飛躍に繋がるので物語には付き物だが、こんなクロスカウンターの様な逆接の多用をしたりはしない。宝を持って帰る、困っている人を助けるというような、物語の至極当然な流れを裏切るには、普通ならばなぜ敢えてそうしたのかという腑に落ちる理由が必要だが、「いちまいばなし」にはそんな物が全く必要とされない。というか、適当に理由を付けて現場の間を埋めればそれでお話になってしまうし、もっと言えばその事自体が面白さにも繋がっていく。逆接の展開をライトな感覚で使い回せる「いちまいばなし」の特徴が、このような流れを生んでいるとも言える。但し、読者は後でその物語の行間を想像するのに、非常に苦労する事になるのだが。。。
このような思考の対立が生む逆説の応酬を「いちまいばなし」の中では「逆接のクロスカウンター」と名付ける事にしよう。

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